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ベテランの技術承継が進まない理由|属人化を解くマニュアル作り

業務効率化

「あの人しかできない仕事」が、静かに会社の弱点になっていく

同じ路線の測量をしても、AさんとBさんでは計算の手順がまるで違う。どちらも正しく成果は出るのに、やり方は完全に別物。社内では半ば冗談で「Aさん流」「Bさん流」と呼ばれていました。地方で公共インフラの測量・点検調査を手がける、創業30年・従業員6名ほどの専門工事会社の話です。

笑い話で済んでいるうちはよかったのですが、この会社にはいま、静かなタイムリミットが迫っています。現場を長年支えてきたベテラン2人が、1〜3年のうちに定年を迎える。しかもそのうちの1人しかできない特殊な調査業務が、いくつも残っている。次に経営を担うAさん・Bさんへ、その技術はほとんど引き継げていません。このままベテランが抜ければ、「この仕事、誰もわからない」という空白が現実になります。

技術承継のマニュアル化は、多くの中小企業で「いつかやろう」のまま何年も先送りされます。この記事の結論を先にお伝えすると、進まない原因は経営者の怠慢ではなく、「忙しいから作れない → 作れないから人が育たない・辞める → だからまた忙しくなる」という構造が固定化していることにあります。そしてこの悪循環は、完璧な1冊を目指すのをやめ、”たたき台1本”から始めることで初めて動き出します。この記事では、その最初の一歩の踏み出し方を、実際の面談で起きたことに沿ってお話しします。

💡 この記事でわかること:

  • 技術承継のマニュアル化が「30年間」進まなかった本当の理由
  • 属人化した職人技を、忙しい現場でも形にする最初の一歩
  • 「年に数件しかない仕事」ほどマニュアルが必要になる逆説

技能承継・訓練には助成金が使える

属人化した技術をマニュアル化し、次世代へ引き継ぐことは、突き詰めれば「人材育成」です。ここに国の後押しがあります。人材開発支援助成金は、計画的な訓練(ベテランから若手へのOJTや外部研修など)を行う事業主に、訓練経費や訓練中の賃金の一部を助成します。「忙しくてマニュアルを作れない」という悪循環を、外部の伴走と助成金で動かせます。

また、マニュアルの土台(何ができれば一人前か)には、厚生労働省の職業能力評価基準を下敷きに使えます。制度をうまく使えば、技能承継は「いつかやる」から「計画的に進める」に変わります。要件は変わることがあるため、最新情報は厚生労働省でご確認ください。

参考(厚生労働省):人材開発支援助成金職業能力評価基準

「背中で見て覚えろ」が30年続いた現場の実態

この会社の教育は、30年間ずっと「背中で見て覚えろ」の一本でした。先輩の隣について、やり方を目で盗む。それ自体は職人の世界では珍しくありませんが、問題は「盗む対象」が人によってバラバラだったことです。

前述の「Aさん流」「Bさん流」がまさにそれで、同じ路線測量でも計算の進め方が違えば、教わる相手によって新人の身につく型も変わります。誰かが教えても、別のベテランが「それは違う、こうやれ」と教え直す。せっかく覚えたことが上書きされ、新人は何が正解かわからなくなる。教える側の善意が、かえって現場を混乱させていました。

さらに深刻なのが、特定の人にしかできない業務の存在です。たとえば立木調査のように、樹木の種類を見分けて記録する作業は、ベテラン2人が長年の経験から体で覚えているだけ。作業規程という仕様書はありますが、法律用語が並ぶだけで実務の役には立ちません。新人に渡せるのは「これ見ておいて」の一言と、本人にしか解読できない走り書きのメモだけ。当然、新人は言われたことをこなすだけのオペレーターになり、疑問が湧いても誰に聞けばいいかわからず、静かに離れていきます。

M社長自身、この状況をよく理解していました。面談の中で、社長はこう振り返っています。「育てる意思もない、準備もしていない、道具も揃えていない。それなのに”やれ”と言う。それで人が辞めていくのを、全部社員のせいにしてきた」。自らの30年を、まっすぐな言葉で自省したのです。

なぜ「暇になったらやる」が30年続いたのか

技術承継が進まない根本原因は、「マニュアルを作る時間がない」という一言に集約されるように見えて、実はもっと構造的です。私たちが第三者の視点で状況を整理すると、次のような循環が見えてきました。

忙しいからマニュアルを作れない。マニュアルがないから新人が育たず、育たないから辞めていく。人が減れば残った人の負担が増え、現場はさらに忙しくなる。そしてまた「作る時間がない」に戻る——。どこから手をつけても、すぐ元の場所に引き戻される輪です。

「作れない」と「育たない」がぐるぐる回る
忙しい
マニュアルを作れない
新人が育たず辞める
人手が減る
この輪が30年回り続けた

この輪の怖いところは、一つひとつの判断が、その場では正しく見えることです。目の前の納期を優先してマニュアルを後回しにするのは、経営者として当然の感覚。だからこそ「暇になったらやる」が毎年くり返され、気づけば30年が経っていました。

そしてこの問題は、人材の話だけにとどまりません。技術が属人化していると、ベテランが持つ営業の勘や取引先との関係も「背中で見せる」だけで形になっておらず、世代交代(経営)の足かせになります。業界全体で発注量が細るなか、技術の幅を広げて仕事を取る仕組みが必要なのに、その土台となる標準化ができていない。人材・組織・経営の課題が、一本の線でつながっているのです。

M社長は、この構造を鋭い言葉で言い当てました。「基本をきっちりやる会社は、今どき2割しかない。でも、その2割が結局きちんと業績を残している」。裏を返せば、標準化に踏み出すだけで上位2割に入れるということ。私たちがお伝えしたのも、「スーパーマンがいらない組織にするには、ちゃんとした仕組みが要る。よそがやっていないからこそ、やれば伸びる」という、ただそれだけのことでした。

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「完璧な1冊」を捨て、たたき台1本から始める

ここで大切なのは、いきなり分厚い完全版を目指さないことです。属人化を解く最初の一歩は、「不完全でいいから、まず1本作る」ことに尽きます。

私たちは面談で、実際に飲食店向けに制作したマニュアルを持参しました。接客の流れから開店準備、カトラリーの並べ方まで体系化した40ページほどの一冊です。ただしこれを見せた狙いは、「ここまで作りましょう」ではなく、その逆。「最初からこのサイズでなくていい」というレベル感を、実物で共有するためでした。ゴールの姿と、最初の一歩の距離感を、目で見て掴んでもらうためです。

最初の一本には、あえて立木調査を選びました。年に数件しかない特殊な業務です。「頻度が低いならマニュアルは後回しでいいのでは」と思われがちですが、実は逆。滅多にやらない仕事こそ、次にやるときには手順を忘れており、できる人が抜ければ丸ごと消えてしまう。だから真っ先に残す価値があるのです。

作り方はシンプルに、3段階の箇条書きから始めます。

たたき台マニュアルの3ステップ
1
事前準備
持ち物・段取りを書き出す
2
業務中の注意点
つまずきやすい勘所を残す
3
後処理
片付け・報告までを言葉に

情報収集はAさん・Bさんが1週間かけて箇条書きにまとめ、それを私たちがスライド形式のマニュアルに起こす。この役割分担を決めました。M社長の言葉を借りれば、「たたきがないと叩かれへん」。不完全な原型を一度作ってしまえば、あとはみんなで直していける。議論だけでは何も残らないが、一本の下書きがあれば会社の財産になっていく——そういう考え方です。

属人化をなくす業務の標準化・マニュアル化の進め方は、業務の標準化・マニュアル化とは?|属人化を解消でまとめていますので、あわせてご覧ください。

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面談では、その場でChatGPTを使い、設計業務の全体フローを書き出してみせました。「自分が今どの工程を担当しているのかわからない」と漏らしていたBさんに、業務全体の地図を渡すためです。出力したデータはその場でLINEに送付。「頭の中にしかなかった流れが、初めて目に見える形になった」瞬間でした。

そして社長には、もう一つ別の宿題をお願いしました。「30年かけて培った営業のイロハを、箇条書きでいいので書き出してください」と。技術だけでなく、経営者自身のノウハウもまた、承継すべき”技術”だからです。

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一本のたたき台が変えた、会社の景色

この面談をきっかけに、30年動かなかった歯車が一気に回り出しました。あの日決めた「たたき台1本」を起点に、この会社はマニュアル整備をやり切ったのです。

30年間「いつかやろう」と言い続け、一度も具体化しなかった技術承継。それが、Aさん流・Bさん流に分かれていた手順を一本のマニュアルに統合するところまで到達し、頭の中にしかなかった仕事の引き継ぎは、いまやほぼ完璧な形で後継者へと渡っています。残るは、3年以内に後継者がその中身を順番に習得していくロードマップを、一段ずつこなしていくだけ。しかも、その意味は社長と後継者の間で共通言語になりました。M社長は面談の終わりに、こう口にしています。「マニュアルがあれば、専門学校の先生に見せられる。大事な生徒を送り出すなら、育てる環境がある会社とない会社、どっちを選ぶ? そういう話ができる会社になれる」。

技術承継のためのマニュアルが、いつのまにか採用の武器として語られていました。守りの標準化が、攻めの人材確保につながる——後継者たちの目の色が変わった瞬間です。「1本作れれば、次は自分たちで作れる」。誰かが抜けたら終わり、だった会社が、自分たちで技術を残していける会社へと、静かに舵を切りました。

観点 以前 取り組んだ後
特殊業務の技術 ベテラン2人の頭の中だけ マニュアル化を完了し、引き継ぎもほぼ完了
新人への渡し方 「これ見ておいて」と丸投げ 全員が書き込める共通の手順へ
マニュアルの位置づけ いつかやる面倒な作業 採用でも使える会社の財産

紙の上のアドバイスを置いて帰るだけでは、現場は変わりません。誰がどの一本から着手し、いつまでに何を書き出すか。そこまで一緒に決めて、初めて仕組みは回り始めます。事業承継を見据えた技術やノウハウの引き継ぎは、この「最初の一本」を誰かが伴走して形にできるかどうかで、その後が大きく変わります。

まとめ

技術承継のマニュアル化を、中小企業で本当に前に進めるための要点を整理します。

① 進まないのは意思ではなく「構造」が原因

「忙しい→作れない→育たない→また忙しい」の輪が回り続ける限り、どれだけやる気があっても先送りされます。まず、この悪循環そのものを断つ一手が要ります。

② 完璧な1冊ではなく「たたき台1本」から

事前準備・業務中の注意点・後処理の3段階を箇条書きにするだけで十分です。不完全な原型があれば、あとは全員で直していけます。年に数件の特殊業務ほど、真っ先に残す価値があります。

新人を育てる教育マニュアルの作り方は、製造業の新人教育|習熟度設計と助成金の活用で詳しく紹介していますので、ぜひご一読ください。

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③ 標準化は「守り」であり「攻め」でもある

属人化を解けば、ベテラン退職のリスクに備えられるだけでなく、「育つ環境のある会社」として採用にも効いてきます。技術だけでなく、経営者自身の営業ノウハウも承継すべき財産です。

その営業ノウハウや金融機関との関係まで含めて何をどう渡すかは、中小企業の事業承継で、4社の実例と5年計画の組み方としてまとめています。たたき台の一本目に着手するとき、その先の見取り図として使えます。

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最後に

「うちにも、あの人しかできない仕事がある」「マニュアルを作らなきゃとは思うけれど、忙しくて何年も手をつけられていない」。もし同じような状況にお心当たりがあるなら、それは決して珍しいことでも、恥ずべきことでもありません。多くの会社が同じ輪の中にいます。

大切なのは、完璧を目指すことではなく、たたき台の一本目に誰かと一緒に着手することです。何から書き出せばいいか、どの業務から手をつけるべきか。私たちは、その最初の一歩を隣で一緒に形にしていきます。ベテランの引退が現実になる前に、一度ご相談ください。

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この記事を書いた人

金井 春樹(株式会社TRAVEL LIKE Talent Partner事業部 取締役COO / TAM)

前職の上場コンサルティングファームにて10年間、年間200社超(累計1,000社超)の中小企業に対するバックオフィス支援・経営改善に従事。

現在は「Talent Partner」の取締役COOとして、認定ターンアラウンドマネージャー(TAM)の知見を活かし、財務・労務・組織の多角的な視点から中小企業のV字回復と成長をハンズオンで牽引する「社長の右腕」として活動している。

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